映画班の思い出(2020/06/13掲載)
吉村 悟 (3回)
割引入場券
確か3年生の時出来た班で、それまでは無かったと思う。映写フイルムなどは高くて手に入らない時代だったの
で、映画班とは名ばかりで実質は写真班だった。ではなぜ映画班と名付けたのかと言うと、映画の割引券を班の
費用で30枚くらい購入し、校内で売っていたからだ。
その頃は娯楽も少なく、映画は大人気であった。ことに洋画で見る外国の生活は我々の憧れの的であって、猫も
杓子も三種の神器といわれる冷蔵庫、洗濯機、自動車を手に入れることを自分の夢としていた。
私は映画班の班長だったので、渋谷の映画館まで良く割引券を買いに行った。入口で「割引入場券を買いたい」
というとすぐに支配人室まで案内された。そして券を買い終わると「せっかく来たのだから、観て行きなさい」
といつでも只で映画を見てもらった。大変ありがたい映画班長の役得だった。
山本清先生の思い出(2020/03/24掲載)
27回生
同窓会にメールさせていただいて、ふと思い出したことがありました。
国語の担当は山本清先生だったのですが、中間試験か期末試験に下記のような問題を出された記憶があります。
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次の文を、文節に分けなさい。
「三分間待つのだぞ。」
「じっと我慢の子であった。」
(最近の学生さんでは、出典?を知る筈もないと思いますが。)
正解も授業でご説明下さったと思いますが、そちらの方は完全に記憶から落ちています。!!。
第一生命ビル
勝鬨橋
GHQ
映画の割引券販売以外のもう一つの映画班の活動は、カメラを担いで都内を撮影して廻ることだった。当時の
日本はアメリカ軍に占領されていて、その総司令部は日比谷の第一生命ビルに有った。
誰と一緒に行ったか忘れたが、「マッカーサーの写真を撮ろう」と第一生命ビルの前のお堀の石垣の上まで登
り、占領軍の総司令官が来るのを待ち受けていた。
やがて車が到着し、マッカーサーがビルの玄関に差し掛かったので、我々もカメラを取り出し撮影しようと身
構えた。その時すぐ後ろに憲兵が2名近寄って来て、我々を睨んだ。カメラを銃と間違えて撃たれやしないかと
恐怖にかられ、結局写真は撮らず逃げ帰った。
イースターパレード
フイルム詰め替え
何せ中学3年ともなると腹が減ってしょうがない。3時ごろにはどうしても何か食べたくなる。そこで映画班員
は交代で校門の外に出掛け、焼き芋を買ってきた。でも迂闊な所では食べられないので理科室の暗幕を下ろし、
入口に「フイルムの詰め替え中、入室厳禁」と張り紙をして皆で食べた。
しかし匂いが残ったはずなので、たぶん映画班顧問の小松先生はご存じだったのではないかと思う。
勝鬨橋
これも誰と一緒だったか忘れたが、当時の名所である勝鬨橋まで撮影に行った。その頃はまだ1日に5回20分
くらい跳開していたので、我々も橋の月島側の固定部分でカメラを構え、開くのを待っていた。
やがて時間が来て勝鬨橋の可動部分がゆっくり持ち上がりだした。先端が徐々に開いて行き1Mほど間隔が開
いたとき、一人の若いサラリーマンがひらりと飛び越えた。もう股の下には隅田川が見えたはずで、その蛮
勇にびっくりした。
勝鬨橋が全開したのでその雄姿をカメラに収め、さて帰ろうとしたが今度は中々閉まらない。結局1時間くら
い橋の向こう側で待たされ、やっと築地まで帰った。