八甲田山登山
池塘
7月31日(金)〜8月2日(日)
大岳避難小屋と岩木山
元気会は今年の夏山登山として青森県にある八甲田山に登った。7月31日の朝、
男性7名、女性4名が東京駅に集合し、八戸駅を経由して青森駅に降り立った。昼
食は列車の中で各自取り、青森からさらにバスに乗り継いで八甲田山荘には午後1
時過ぎに到着した。メンバーの一人が目覚ましの不調で?新幹線に乗り遅れる事故
があったが、その会員も1時間半遅れで無事八甲田山荘に到着した。
その日の天気は快晴だったので、午後2時ごろから八甲田山荘のご主人である芦沢
さんのマイクロバスに分乗し、高度千メーターある笠松峠を越え、睡蓮沼で絶景を
堪能し、蔦温泉までお風呂に入りに行った。
蔦の湯は風情のある昔ながらの温泉で
大町桂月終焉の地でも知られているが、それよりは吉田拓郎の「旅の宿」が生まれ
た場所としても有名である。
夜は山荘のご主人の心づくしの洋風料理と銘酒「田氏」で、ゆっくり楽しんだ。
八甲田の夜は静かに更けて行った。
睡蓮沼と元気会一同
睡蓮沼
八甲田山荘と元気会一同 右端が芦沢さん
八甲田山大岳山頂と元気会一同
<その後の八甲田山荘について>
大窪 和子(3回生)
山の話で盛り上がった夜、この山荘の後継者は子供さんか、という質問が出ました。山
荘の経営に意欲のある人に譲りたいと芦沢さんがいわれたのを記憶している方もあるし
ょう。
8月31日、何気なく{お気に入り}に保存してあった八甲田山荘のHPを開きました。思い
がけない報告がそこには載っていたのです。丁度その日、山荘は芦沢さんからガイド協
会の理事長である相馬さんという方にバトンタッチされる日でした。26年間、山荘を
支えて来られた芦沢さんは山荘の経営からは下りられ、でも大好きな青森に住んで専ら
山登りを楽しみ、外国の山にも出かけたいという明るい希望が掲載されていました。
私の書き込んだブログのお返事にはには「ぜひ又青森の山に出かけてください。そのと
きには声をかけて!」とありました。
八甲田山荘は多くの山の有名人が宿泊された由緒ある山荘だったようです。その終焉の
ときに私たちは不思議なご縁でお世話になったのだと思います。あの山小屋風の懐しい
建物は取り壊されリニューアルされて、3ヶ月後にオープンするとか。いつかまた、新
しい山荘にお邪魔して山に登りましょう。そのときには芦沢さんにもお声をかけて・・・
酸ケ湯温泉はこれまた昔ながらのお風呂で、大浴場は混浴になっている。お風呂の
縁の中央部分には「これより女湯」との標識があるが目立たないので、女性の領分
まで行って慌てて引き返す男性もいた。(女性陣は女性専用のお風呂に入った。念
のため。)
二日目の夜は芦沢さんも仲間に入りビールとワインで大酒盛りとなった。元気会会
員の中には高校や大学で山岳部に在籍した連中がいて芦沢さんを交えて久しぶりに
山の話になり、夜中まで会話が弾んだ。(酔っ払って久しぶりに怪しげな安曇節を
合唱し、お互いにビックリ。)
三日目は山には登らず芦沢さんのマイクロバスにお世話になり青森観光となった。
まず青森の連隊が明治のころ八甲田山で百何名も遭難した現場を訪れ、次に三内丸
山遺跡の壮大さに驚き、最後は青森の街まで送って頂いた。青森はねぶた祭りの始
まる日で準備のために出しがあちらこちらに飾ってあった。
祭りの開始は夜からなのだが、人が大勢出始めていて中々雰囲気があった。せっか
くだからと私も町の広場で生ビールを飲んで祭りの気分をちょっぴり味わった。
(その後、思い思いに街を見物。メンバーの内四人が青森出身の版画家、棟方志功
の記念館を見学した。なかなか充実したコレクションがあった。)
ねぶた祭りに名残を惜しみながら午後4時頃青森から列車に乗り、東京には夜の8
時過ぎに無事着いた。
今回は八甲田山荘のご主人である芦沢さんにガイドして頂いたので、登山は全くト
ラブルが無かった。芦沢さんはゆっくり、しかもきちんとペースを守るので足弱な
人も楽であった。また三日目は自らマイクロバスを運転して青森の観光案内を下さ
り、本当にありがたく感謝申し上げます。
参加:小泉、毛利、細谷、高広、伊藤、森、吉村、平林、大窪、谷、重澤
行程:31日 東京−八戸−青森−ロープウエイ駅前−八甲田山荘−睡蓮沼−
蔦温泉(入浴)−八甲田山荘(泊)
1日 八甲田山荘−山麓−山頂公園−赤倉岳−大岳−酢が湯温泉(入浴)
−八甲田山荘(泊)
2日 八甲田山荘−雪中行軍遭難記念碑−三内丸山遺跡−青森−八戸−
東京